信仰詩集

2026年8月16日
「神様の愛と祈りの本質」 諸江修
神様は黙って見守るだけでなく、人が求めたものを与えようとするお方。
しかしその求めが正しいと判断し、かつ適切な時に与えてくださるお方。
また人が求めることをせずとも、必要なものは自ら与えてくださる。
しかしそれが肉体を持つ地上に生きる人にとって、心地のよいものとは限らない。
苦しいものかもしれない。
それならば、何も祈る必要はなく、全て神様にお任せすればよいと考えられるかもしれない。
しかし神様は人を愛しておられる、愛する者からのおねだりは、親にとっては心地のよいものだし、できれば叶えて上げたいと思われるのが神様である。
また何も求めない子に対して、欲しがるように仕向けてくれさえする愛を神様は人に対してお持ちである。
そして人が欲しいものを手にした時に喜ぶ姿を見て、喜ぶのも神様の愛である。
しかし人は置かれた環境や時代によって、欲しがるものが違い、特に文明が進んだ今、本来害を与えるものを人は欲しがる傾向がある。
それに対しては、神様は愛を持ってノーと言い続けるのである。
しかし私が思うに、神様は人が神様とのみ向き合っている時間を少しでも長く持つことを望んでおられるのではないだろうか。
         
2026年8月15日
「神みを畏れよ」 諸江修
神のみを畏れよ、との教え
ずっと前から知っている教え
しかし私は神以外の多くのものを恐れて生きている
神のみを畏れて生きることは実に困難だ
その生き方を始めた途端につまづくだろう
つまずきの理由の1つは肉体の呪縛
この世に肉体を持って生まれてきた人間は
肉体を守るために、神以外のたくさんのものを恐れてしまう
クリスチャンになって45年
キリストの教えに従うため、肉体の呪縛と戦おうとしたことは何度もある
しかしこの地上では、その戦いに勝つことはないだろう
だからこの地上では、神のみを畏れて生きる生き方はできないだろう
きっと天に召される日まで実現しないだろう
しかし天に召された瞬間から
神のみを畏れる人生が始まる
天の国での神のみを畏れる人生
地上でもその準備を始める年齢に、私も近づいてきたのだと思う
              

2026年7月19日

「夜明けの頃の雨」 諸江修

雨が降ってきました。
雨のもたらす涼しさに感謝します。
太陽は見えませんが、確実に夜は明けています。
神様、あなたがいつも私のために必要なことを用意してくださっていることを確信し、感謝します。
どうか、そのことに気づきますように
どうか、善いものが隠されている理由、そして隠されているものに含まれる善、この涼しい快適さのようなものを、見出すことができますように